遠山産業とは

遠山産業の理念

社訓

誠意・創意・協和

遠山産業では事業において、創業以来「誠意・創意・協和」を行動規範とし、売り手だけではなく、買い手・社会全体(会社従業員)に対して、関わる全員が共栄の道を目指します。

誠意

私利・私欲を離れて正直にまた熱心に仕事に向き合い、自ら成果を出せるよう実践行動し、高く評価され感謝される人間になります。

創意

あらゆる情報から学び、現状に満足するのではなく常に新しいことに挑戦し、人よりも一歩先に情報発信できる人間になります。

協和

仕事を通じて人間として成長し、自ら相手の存在を認め、その存在に感謝し、相手がより良く成長できるよう援助し、社員の人生が豊かになることを目指します。

「誠意・創意・協和」

社長挨拶

社会から常に必要とされる企業を目指して

遠山産業は、江戸時代中期の1790年に愛知県津島市にて米問屋業を始めたことに端を発し、1877年に会社組織として綿糸を扱う繊維業を創業したことに始まります。

維新後日本として欧米列強国と肩を並べるべく、富国強兵を目指す中、外貨獲得の必要性を強く感じた各先代は、繊維業を通して、商社・紡績・染色業といくつかの会社を設立・発展させ、現代になってからはモータリゼーション及びサービス産業への分野に進出し、常に時代の変化に合わせて、社会に貢献してまいりました。

各事業において、高い満足度のサービスをお客様に提供するため、常に顧客目線での姿勢を保ち、謙虚にそしてチャレンジ精神を持って、ステークホルダーの皆様、社員、社会に対しより一層社会的責任を果たし、遠山産業としての付加価値を高めてまいります。

今後ともご支援のほど何卒宜しくお願い致します。

代表取締役 遠山卓郎

代表取締役 遠山卓郎

遠山産業グループとしての沿革

遠山家の祖は美濃国恵那郡遠山庄に起こり、城主遠山左衛門尉景朝を始祖とし、以来恵那地方を10代治めました。
その後徳川家康に従って岡崎に移り、景朝から数えて23代目の遠山景京(かげおか)が今から寛政元年(1790年)に尾張国津島にて武士から帰農し、名を孝次郎と改め米穀問屋を始めたのがルーツとなっています。

以後、日本における繊維産業の勃興とともに、綿糸業、毛織物業とビジネスの幅を増やし、今日に至っています。

遠山商店創業

明治10年(1877年) 1877年 孝次郎より数えて4代目の遠山幸八が綿糸販売を目的に個人商店として繊維を取り扱う遠山商店を創業

遠山産業沿革

初代遠山孝三

明治26年(1893年) 1893年 冨永新六、冨永新吾、青樹英二ら19名で株式会社津島紡績(三重紡績に吸収合併、その後東洋紡津島工場となる)設立、また株式會社海島銀行、株式會社海島貯蓄銀行各取締役を歴任

遠山産業沿革

合名会社遠山商店

大正6年(1917年) 1917年 二代目遠山孝三、合名会社遠山商店設立、また津島染色整理株式会社設立(現津島興業株式会社)、染色整理加工業を開始
大正7年(1918年) 1918年 合名会社遠山商店を設立、津島に本店、名古屋支店、大阪、浜松に出張所を開設
大正8年(1919年) 1919年 内外紡績株式会社設立、以後社長就任
大正12年(1923年) 1923年 名古屋綿糸取引所理事長就任
大正14年(1925年) 1925年 神野金之助と共に日本放送協会東海支部(現 NHK名古屋)設立時の役員就任
昭和3年(1928年) 1928年 日本毛織側から川西清兵衛共、及び中京側として伊藤次郎左衛門、神野金之助、富田重助、瀧定助らと共に昭和毛糸紡績株式会(日本毛織にて合併)設立に参画
昭和4年(1929年) 1929年 毛糸輸入高全国一位達成
昭和10年(1935年) 1935年 二代目遠山孝三永眠

遠山産業沿革

遠山産業沿革

遠山産業沿革

遠山産業沿革

遠山産業沿革

合資会社遠山商店

昭和12年(1937年) 1937年 遠山静一代表就任後、その後本格的に輸出入業務を開始し合資会社遠山商店に組織変更
昭和13年(1938年) 1938年 中国の奉天、天津に出張所開設
昭和21年(1946年) 1946年 終戦により海外出張所を閉鎖し、東京・一宮・蒲郡に営業所開設
昭和25年(1950年) 1950年 遠山邦孝、名古屋毛織商同業界設立、理事長就任
同年 三代目遠山孝三、大隈孝一らと共に名古屋青年会議所創立(JCI) 理事就任
昭和29年(1954年) 1954年 伊藤伝七、福西英一津島市に工場誘致第一号としてウールトップメーキングの工場である現、旭遠山株式会社の前身である旭羊毛工業(株)を設立に資本参画

遠山産業沿革

遠山株式会社

昭和31年(1956年) 1956年 遠山株式会社を設立。シドニー、ニューヨーク、香港、リマ、テヘランに駐在員派遣し、輸出拡大
昭和24年(1959年) 1959年 箕面ゴルフ倶楽部(箕面観光開発)設立
昭和35年(1960年) 1960年 現地法人遠山ニューヨーク会社、遠山豪州会社、香港支店開設
昭和36年(1961年) 1961年 現トヨタモビリティー中京株式会社、前身パブリカ中京株式会社設立
昭和37年(1962年) 1962年 遠山孝三、日本毛糸商業組合中部支部(現 名古屋毛糸同業界)設立、理事長就任

遠山産業株式会社

昭和38年(1963年) 1963年 東洋綿花(現 豊田通商)の資本参画を得て、遠山産業株式会社設立
昭和40年(1965年) 1965年 旭興業株式会社設立。旭自動車学校を開校
昭和40年(1965年) 1965年 毛織物、対米国輸出量日本一達成。政府より輸出貢献企業として表彰を受ける
昭和48年(1973年) 1973年 アサヒゴルフセンター開設
昭和49年(1974年) 1974年 遠山邦孝社長就任
昭和57年(1980年) 1980年 遠山旭羽毛株式会社を設立。羽毛ふとん事業部を開設
昭和59年(1984年) 1984年 東洋紡と共に有限会社ティティプランニング設立 生産委託管理業務開始
平成元年(1989年) 1989年 遠山憲孝社長就任
平成7年(1995年) 1995年 温浴事業、旭湯津島を営業開始。
平成26年(2014年) 2014年 遠山卓郎社長就任 神田毛織株式会社Kanda工場取得。高級生地の輸出を本格化
平成27年(2015年) 2015年 お持ち帰り餃子専門店「邦純」営業開始
令和1年(2019年) 2019年 高齢者講習専用施設、「交通安全センター」竣工
令和3年(2021年) 2021年 刈谷ハイウェイオアシスにてフライドポテト専門店「フライディー」運営に資本参画

遠山産業沿革

遠山産業沿革

遠山産業沿革

遠山産業沿革

法人情報

遠山産業株式会社

代表取締役社長 遠山卓郎

繊維専門商社、自動車教習所、ゴルフ練習場、
飲食業務

総務経理部

052-746-8800

名古屋市昭和区吹上町2-9-9

営業部(一宮オフィス)

0586-52-3720

愛知県一宮市栄1-10-15 3F

資本金100百万円

有限会社ティ・ティ・プランニング

繊維生産委託管理

愛知県一宮市栄1-10-15 2F

0586-71-2500

資本金5百万円

有限会社遠山アパレル

イベント企画運営・新規事業

コンサルティング事業

052-746-8800

資本金3百万円

旭遠山株式会社

不動産管理

052-602-6160

資本金60百万円

旭合繊株式会社

不動産管理

資本金10百万